はじめに

モテるために自分をメイクアップする_モテたい男ならば当然のことではないだろうか。
大好きなあの娘に振り向いてもらいたいから自分を作っていく…。そういう男性は多いはず。私も学生時代はそんな感じだったものだ。とあるアニメのキャラクターに憧れたり、ドラマのある人に憧れたりして、自分もそれに近づけようとした。
だが、これだけは言える。「無理して自分を作ってもモテることは無い」と。
…いや、厳密に言えばモテることはあるかもしれない。無理して作ったキャラだって、女はコロッと騙されることがある。
しかし、あなたのモテキングダムはそうそう栄えるだけに留まりはしない。徐々に没落の一途を辿り、ついには竜頭蛇尾…栄華は終わり、焼野原からの1歩目を歩むことになるだろう。
しかし、中にはモテキングダムをそのままモテキングダムとして栄えさせ、ひいては国際連合の仲間入りを果たすぐらいにまで一国として成長していくやり手モテ男もいる。
没落したモテ男と、没落せずに栄華のままで国を反映させるモテ男の違いは何なのだろうか。
無理してモテることの恐怖を書いていこうと思う。
この記事の目次
無理して自分を作るとはどういうこと?

無理して自分を作る_とはどういうことなのだろうか。
結論から先に簡潔に書いてしまえば、「技術で自分を補おうとする」ということである。
ちょっとピンと来ないかもしれないので詳しい解説をしていこう。
まず、人と言うのは当たり前だが自分の性格がある。この「性格」があなたであり私である。この性格が根本にあって、そこから自分のやりたいことなどを探していくのだ。
女性にアタックするときもそう。
消極的な男と積極的な男ならば、女性へのアプローチの仕方1つでも個性が現れるはずだ。この、1つの動作でさえも個性が現れるというのは、性格によるところが大きいと私は分析している。
しかし、技術で自分を補おうとすると、どうしても自分の本当の性格ではないため、ぎこちない感じが出てしまう。
例えば、本当はワンピースで言うところのルフィみたいな大雑把な性格をしているのに、サンジのようにクールだけど女を見ると目がハートになって「ナミすわぁぁぁあん♡」とか言っちゃうキャラを演じようとしても無理だという話だ。
ルフィが「ナミすわぁぁああん♡」とか言ってる姿を想像しても無理だろう。逆になんかぎこちない感じが生まれてしまうのではないだろうか。
「技術で自分を補おうとする」とはつまりこういう事なのだ。
「本当の自分はこうなんだけど、○○みたいな性格の方が女にはモテるかもしれないし、自分を演じてみよう」と言うのはなかなか難しい場合がある。
作った自分で女と接していると、疲れる

作った自分で女と接していると疲れてしまう。初めこそ良いかもしれないが、後々になってどうにも「キャラを演じる」というのがめんどくさくなってくるはずだ。
しかも、「この女は俺の作ったキャラが好きで今こうして付き合ってくれているのかもしれない」と考えてしまうと、後にも先にもひけないような状況になってしまう。こうなっては牙城崩壊。竜頭蛇尾の栄華でござんした。南無阿弥陀仏。
…という冗談はさておき、とにかく女性と接するのが苦しくなってくる。
こう言う点を含めても、技術で作った自分というのはできるだけやめておいた方が良いのかもしれない。
併せて読みたい>モテる男はモテることに執着してない説
「自分を作ったモテ男」になるには?

「はじめに」でも述べたように、自分を作って栄華を極めたモテ男も存在する。
では、なぜ彼らの栄華は衰えることを知らず、バンバン栄えに栄えているのに、あなたのモテ男街道は桜ではなく銀杏まみれなのだろうか。
それは、「自分の性格と同じベクトルを演じているから」なのである。これもまた言葉だけを見たのではピンとこないと思うので、自分なりの解説をさせていただこう。
先ほど、ワンピースのルフィとサンジを例に挙げてみたのは覚えているはずだ。ルフィは大雑把で、サンジは料理もできてクールだけど、ちょっとしたところで女にだらしない…という話。
ルフィとサンジだと、性格の共通点があまりないのではないだろうか。以下が私が思うサンジとルフィの性格の相違である。
- ルフィ(大雑把)⇔サンジ(クール)
- ルフィ(料理できない)⇔サンジ(コック)
- ルフィ(女性に興味無し)⇔サンジ(女性に興味有)
おわかりいただけただろうか(心霊番組風)。ルフィとサンジではそもそも性格が正反対なのだ。そりゃルフィがサンジの真似事をしようとしてもどだい無理な話である。
しかし、…もしロロノア・ゾロをルフィが演じようとしたらどうだろうか?
ルフィとゾロなら、多少の性格の違いはあるにせよ、基本的に同じベクトル線上にいる性格同士なのではないだろうか。
ゾロはクールっぽいけど方向音痴だし、飯は食うし酒は飲むしその割にストイックだし…。なんとなくルフィ的な一面が垣間見えるはずだ。強い奴にもガンガン立ち向かっていくし、ミホークに「背中の傷は剣士の恥だ」とかいって正面を斬ってもらうように仕向けるし…。かっこよすぎやしないか。
つまり、何が言いたいかというと、同じ性格っぽい人を演じるならば無理なく演じることができるので、モテ男になれるよということである。
自分を演じながらモテ男の栄華を極めているやり手大臣様はつまりそういうことなのだ。自分の性格を熟知しているからこそ、この性格でよりかっこよく女性に映る性格、それにあった服装やらなんやらで自分を作っているのだ。
清潔感は自分を作ることに入らない

「自分を作るってのは清潔感も入ってくるんじゃないの?」_というなんだかよくわからない疑問を持っている方のために解説していこう。
清潔感は自分を作るうちには入らない。
なぜなら清潔感はマナーだからだ。マナーの一つ。自分を作っているとかそういうことにはならない。
そもそも清潔感が無いと女性に好かれることは難しい。清潔感はモテるための大前提中の大前提である。PS4でゲームをするためにはそもそもPS4本体が無いとPS4ができないのと同じだ。なんか早口言葉みたいになってしまった。
清潔感は色々出しどころがあると思うが、個人的には臭い関係をケアしておくだけでかなりの効果が期待できるのでおすすめだ。
併せて読みたい
自分を作らずに素の自分でぶつかっていけるのが一番良い

恋愛をする時は自分を作ったりとかそういう事はせずに、ありのままのあなたでいることが一番好ましい。変にかっこつけたりとかせずに、自分をさらけ出した方が女性は逆に安心する。
演技と言うのは結構バレるものだ。余程の役者気質でもない限り、下手に演技をしてしまうと「あ、こいつ演技してやがるな」と思われてしまう。気をつけよう。
私の黒歴史小話
私の黒歴史の中の一つに、「物静か系男子になりきる」というのがある。学生時代、物静かな男性にあこがれて、学校につくなり本を読むようにしていた。そうすることで女の子にもモテるんじゃないかと考えていたのだ。
もともと本を読むのは好きだったため、物静か系男子になるのは特に苦ではなかった。
しかしそもそもクラスメートからの私の印象は「騒がしいタイプ」だったため、急に私が物静かに本にありつく姿を見てギョッとしたらしい。
当然女子にもモテなかったのは言うまでもないだろう。
このように、変な意味でギャップを狙っても全く意味が無いのだ。
自分を作るなら同じベクトルで/まとめ

この記事の核心部分のメッセージは、「自分を作るなら自分と性格のベクトルが似ている人になりきるべき」である。
自分と正反対のベクトルに位置する性格を真似たところで、結局ボロがでてしまうだけなのだ。
ルフィで言うところのゾロ、サンジで言うところのロビン的な?
しかし、結局は自分自身の性格をそのまま曝け出した方が後々楽なのは言うまでもない。
だから、素の自分自身を出していくのを私はオススメしたい。
モテない男たちに、エールを。